私が写経を始めた理由

■きっかけは、須磨寺の小池陽人副住職のYoutubeだった。

副住職といっても、まだ若い。年の頃は三十前後に見える。黄色い木欄色(もくらんじき)の法衣をまとった、笑顔が光る青年である。

何年か前、小池陽人さんがYoutubeを開設してまだ間もない頃、オススメ動画にピックアップされてきたのが、そもそもの始まりだった。

その頃、私は『禅 ZEN』という映画を観て以降、禅や仏教に興味が湧き、関連する映画を観たり本を読んだりしていた。

お経って何? お釈迦様って? そもそも禅って? 仏教って? 宗派って? 何もかもがぼんやりとしか掴めず、わからないことばかりだった。かといって調べれば答えがあるものでもなさそうだ。難しいな、と感じながらも、何かを求めて彷徨っていた。

そして、縁あって辿り着いた小池陽人さんの動画で、大きな衝撃を受けることになる。

動画の中で、小池陽人さんは言う。

仏教は、亡くなった人のためにあるのではなく、今、生きている我々のためにあるのです、と。

けれども現代ではほとんどの人が、葬式や法事の時くらいしか仏教に関わらない。本来、仏教というのは、今生きている人が、今、どのようにして人生を生きていったらいいのか、その生き方の教えを説いているものなのです、と。

私は、あっと息をのんだ。巻き戻して何度か見返した。

仏教は、生きている人のためにある、生きていくための教え。

だからこそ小池陽人さんは、今生きている人に向けて動画を配信することで特に若い世代の方々にも機会を増やしたいと思い、須磨寺で行われているご自身の法話を録画して、Youtubeに公開するというチャレンジを始めたのだという。


■小池陽人さんの動画

あらためてこの動画がUPされた日付を確認した。2017/06/30だった。チャンネル開設がその前日である。今からおよそ3年前。この動画は2番目にアップされた動画だが、1番目はご挨拶の短いプロフィール動画だから、これが事実上、最初の法話動画となる。

奇をてらって僧侶が動画アップ、というわけではなく、本当に、便利なツールだからYoutubeを使っているのだとわかる。


仏教に限らず、宗教に傾倒するつもりは一切ない。誰かに勧めたいわけでもない。それだけは断っておく。

私がなぜ、写経を始めたか。そのきっかけが小池陽人さんの動画だったというだけの話と思ってほしい。

前置きが長くなってしまった。そろそろ本題。なぜ、写経を始めたか。

■なぜ、写経を始めたか。
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